代表プロフィール
轟 勝之
Katsuyuki Todoroki
税理士 代表社員
【経歴】昭和36年2月生まれ。東京都出身。日本大学卒業。公認会計士事務所を経て、平成4年10月独立開業。現在に至る。
【著書】
- 「伸びる会社づくりの手順教えます。」中経出版(共著)
- 「小さな会社の社長だからできる節税と資産づくり」あさ出版(共著)
- 「3ステップ式だから資金繰り表で経営をぐんとラクにする本」あさ出版(共著)
- 「あなたが社長だからできる節税88」あさ出版(共著)
その他、月刊税理等の専門誌に執筆。
税理士になったのは、大学の成績が悪かったから
日大に行ったものの、実は、大学の成績が悪く「どうしようかな?」と考えていました。
そんな時ふと、子供の頃、実家の商店で見ていた税理士を思い出しました。
スーツを着て、お昼まで出してもらえて、ありがとうと言われ、お金ももらっていく。何か良い商売だなと感じていたのです。
さらに大学の授業には簿記もあり、大学のある水道橋には、大原簿記学校もありました。
このように、子どもの頃の思い出、大学の授業、近くの簿記学校、
この3つがつながり「税理士になろう」と決心したのです。
税理士資格取得後は、岡本会計へ勤務することになりました。
勤務していた事務所がなくなり、とどろき会計設立
池袋の岡本会計に6年勤務していましたが、代表の岡本先生が亡くなってしまいました。
個人事務所だったので、代表がいなくなってしまうと空中分解です。
そこで、担当のお客様と、同じ事務所の職員も数人引き継ぎ、開業することになりました。
岡本先生が亡くなったときは、お子さんがまだ学生だったため、年にいくらかのお金をお渡しする約束もした上での独立でした。
開業することになったものの、お金や資金繰りは、まったく考えなしの状態。もちろん当初は、お金にはやっぱり苦労しました。
さらに、きつかったのは、仲間との関係です。
今まで仲間だったのに、開業したとたん、経営者と従業員になるわけです。
昨日までみんなと同じくサラリーマンをやっていて自分だってよくわからないのに、いろいろな判断をしなければならない。お香典ひとつとっても、どんな関係まで出すのか?いくら出すのか? こんなことから、経営者としては本当にわからないことだらけ。
今まで仲間だったから、先生とも呼ばれない。
当時の習慣だった『3時のお茶』を出されるのも最後。文句を言ったら、「あなたに雇われたことはない」と言われる始末です。
そんな中でも、土日なく働くプレイングマネージャーで、徐々に売上も伸び、従業員も増えてきました。
家賃で赤字に!ひとつひとつ業務を見直して改善
売上も従業員も増えてきたところで、門構えも立派にしたほうが良いと考えて、池袋で広いスペースのところへ引越しました。
そうなると、家賃だけ2.5倍に増える。
この家賃は本当に重く、税理士としてお客様には偉そうなことを言っておきながら、自分のところは、3年間赤字になっていました。
そこで、業務をひとつひとつ見直しました。
作業時間を短縮して、残業を減らす。それでできた時間を『お客様に役立つことは?』と考えて、お客様のお手伝いをできる時間を増やす。
すると、売上が上がって、黒字転換しました。
さらに、今までトップダウンだった自分のやり方もやめました。スタッフが自発的にお客様のお手伝いにすぐ動けるようにしたのです。事務所内の現金も、スタッフが金庫から自由に出せるようにしたりもしました。
またスタッフ人数が増えたらまた広いところに引越で、もう家賃では苦労したくないと、フリーアドレスやペーパーレスなど取り組みました。もちろん、スタッフが自主的に対応してくれました。
※フリーアドレス体制にした途端、コロナ禍になり、すぐリモート体制が取れて、ラッキーでした。
今ではスタッフ自らが考えて、「これをやりたいんです」と提案します。私は「はい」と言ってお金を出す以外は、選択肢がありません。笑
誰でも、自ら言い出してやると、責任をもって仕事をしてくれます。上手くいかないときもあります。でも、上手くいくときもあるので、きちんと黒字になっている。
だから今では、自分が下手に口を出さないほうがいいなと感じています。